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昨日は終戦記念日。
生前の祖父から、戦時のことはたくさん聞いた。
多くの戦友がなくなったこと、戦時にはどんなに警戒していても人は死ぬこと。
祖父は戦闘で何回も撃たれたが、奇跡的に死ぬことも、障害が残ることもなかった。

祖父母は終戦を、国策で移住(満蒙開拓民)していた満州で迎えた。
そして私の父親が満州で生まれた。
終戦になると、現地にいた日本人は(ソ連兵などから)逃げることになる。そして、逃げる途中で産まれたばかりの父の弟は、殺されることになる。集団で隠れながら逃げているので赤ん坊が泣けば見つかり、みんな殺されることになる。集団の暗黙の了解で産まれてすぐに。。。。

夜寝て朝になれば何人かが死んでいるような状況で、このままでは自分たちも死ぬと思った祖父母はある決断をする。幼い父親を現地の人に託すことに。その当時は現地の人は日本人の子供を欲しがっていたそうだ。


それから数ヶ月後、何とか日本に帰れそうな目処がたった祖父母は、必死で父親を返して貰えるように現地の人に頼む。はじめは頑なに拒否されたが、騒ぎになって事情を知った他の現地の人から「それではあんまりかわいそうだから」と一緒に説得してくれて、なんとか取り戻せた。祖父母は父親を託すのに際して、なにも交換の品を受け取らなかったそうで、交換の品を受け取った親たちは、どんなに頼んでも子供を取り返すことができなかったとか。


必死の思いで連れて帰った一人息子。
日本へ帰ってからも大切に育てて、そして家族が増えた。3人の孫ができて一緒に暮らし「こんなに幸せな生活ができるようになるとは、若い時には思わなかった」とよく漏らしていた祖父も4年前に他界。94歳だった。
「3人の孫は宝だ」と言っていた祖父。寅年だった祖父と、60年違いの寅年の孫(私)から96年違いの寅年の曽孫が産まれ、宝は増殖中。
昨日はその曽孫くんは、病院に祖母に初めて逢いに行ってご挨拶と握手をしてきた☆
祖母はもう誰が誰かはわからないが、「この小さい子は可愛いな〜」と喜んでいた。

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