いつもポチッとありがとうございます。昨日は、新会社の“社運隆昌”と家族3人の“新恩感謝”などのご祈祷を上賀茂神社でしてきました☆その後は年に1〜2回しか食べない焼肉を食べに、知り合いの焼肉屋さんへ。そこは牧場で近江牛を育てているので、相当に上質のお肉です
ライフスタイル
仕事・お金と家庭
いつもポチッとありがとうございます。仕事で失敗しても、お金で失敗しても、後からどうにでもなります。クビになっても、倒産しても、破産しても、後でいくらでも取り返しがつきます。実際、世に出ている成功者と言われている人達の多くは、そんな経験をしています。一方、
自分のペース
いつもポチッとありがとうございます。 (皇輝 五ヶ月)我が家の生活は、今は子供中心。起きる時間も、寝る時間も、食事の時間も、夫婦ともに子供に合わせています。そのせいか、病氣も夜泣きもなく、成長は順調そのもの。コミュニケーションの反応もすごく良いです。4ヶ
将来のため
いつもポチッとありがとうございます。以前のブログでも取り上げましたが、日本の年金制度は、かなりあやしいです。http://blog.master-takao.com/archives/51797586.html現在でも、年金の支払いに必要な財源の半分は税金を投入しています。しかも、たまたま余っていた余剰金
億万長者の時間の無駄
いつもポチッとありがとうございます。時間という資源をどう使うかによって、人生はどうのようにも変化します。どんな時間を使うか基準が決まっていれば、使いやすくなります。「自分が貢献できる最も重要な問題に取り組んでいるという実感がないと、自分の時間を無駄にして
努力家と怠け者
いつもポチッとありがとうございます。人の生まれ持った性質は変わりません。頑張って努力しても変わりません。背が高い・低いや、肌の色が白い・黄色い・黒いのを努力しても変わらないのと同じで、生まれつきで変わらないことってあります。努力家か怠け者かというのも生ま
旬のもの
いつもポチッとありがとうございます。我が家は果物をかなりたくさん食べます。果物は無農薬のものを宅配でか、果物屋さんで買います。果物屋さんで買う場合は必ず、「今は何が美味しいですか?」と聴きます。旬のものを食べることは健康にも良いです☆読んだらポチッとお願
無駄をなくす
いつもポチッとありがとうございます。何か行動をする前に、その行動を通じて『どんな感情を得ようとしているのか?』、あるいは『どんな感情を避けようとしているのか?』という質問を自分にしてみてください。その答えが明確になっていくにつれて、行動に無駄がなくなって
人生の学び
いつもポチッとありがとうございます。お金について、健康について、結婚について、子育てについて、使命について・・・・学校ではこれらのことは何も教えていません。人生にとって本当に重要で必要なことは、学ぶ場も機会もないのが現状です。これは例えると、教習所はなく
感情の葛藤(重要)
いつもポチッとありがとうございます。今までに無意識下に溜まっているネガティブな感情の葛藤を手放さない限り、他のどんなを努力しても、幸せを感じることができません。怒り・妬み・悲しみ・・・様々な感情が解放されることなく、無意識下にくすぶっています。そして何か
学ぶ秘訣
いつもポチッとありがとうございます。学ぶときに大切なことは、1つのことを理解するよりも全体を感覚的につかむことです。音楽でも、英語でも、歴史でも、コンピューターでも、絵画でも、スポーツでも・・・・およそ何を学ぶにしても、これはとても大切な秘訣です。理解で
一所懸命しない2
いつもポチッとありがとうございます。前回の続きです。一所懸命すること自体が楽しい限りは、何の問題もありません。目標を達成するかしないかわかりませんが、必ずいい結果に繋がります。楽しい波動を出していれば、楽しい結果がついてきます。問題は、苦痛だけれどいつか
一所懸命しない
いつもポチッとありがとうございます。一所懸命(一生懸命)しない。目標に対してあまり一所懸命しないことは重要です。のんびり楽しく取り組んで、偶然起こることを大切にすることです。その方が、よっぽど良い結果になります。一所懸命すると、それがこだわりになって、良
何の役に立つの?
いつもポチッとありがとうございます。「それは何の役に立つの?」はとても重要な質問です。何かをする前に自分に対して、この質問するを習慣ができれば、人生はよりシンプルに楽しくなります。例えば私が中学生の時、同級生の女の子が学校に写真と資料を持ってきて、熱心に
人のことより自分のこと
いつもポチッとありがとうございます。“自分のことより、他の人のこと”というのは、あくまで自分自身のことが、ちゃんと出来ている人が前提です。自分のことがキチンとできていないのであれば、他の人のことに構うより、まずは自分の面倒を自分で見ることです。自分の面倒